エジプトの電力事情

エジプトの電力事情に接し、日本の貢献を考える

 

2011/4/8 福島 宣夫

 

はじめに

この小文は、私が最近中東やエジプトの電力システムに関わり、そこで得た体験や思い、描いた夢を述べたものです。

 

まず私の経歴と中東・エジプトに関わるようになった経緯を紹介し、次にエジプトの気候や地勢について驚いたこと、それらが電力システムにいかに良い条件を与えているか、それにもかかわらずエジプトの電力システムの信頼度が低いこと、その中で25年前の日本の優れた技術と真面目な取り組みが今でも高く評価されていることを述べていきます。それらを踏まえて、日本の貢献でエジプトの電力システムやエネルギー事情を改善する夢を語ります・・・

 

・・・と、このような趣旨で今年1月に本稿を脱稿した直後、エジプトで歴史的な大政変が勃発しました。連日の大規模デモによる大衆の圧力と国際世論により、中東を代表する指導者、ムバラク大統領が失脚し、民主的な選挙で次期指導陣を選ぶことになったのです。筆者たちはその間、危険を避けるため2月初め混乱のカイロ空港から急遽日本へ逃げ帰らざるをえませんでした。

 

ところが歴史的な変化はこれにとどまりませんでした。2011311日、そろそろ落ち着いてきたエジプトに戻るべく東京で準備をしていた最中、今度はわが国に東日本大震災が襲いかかってきたのです。地震と直後の巨大津波により、東北地方太平洋沿岸は壊滅的被害を被りました。さらに被災した福島第一原子力発電所が冷却機能を喪失し、周辺への放射能汚染を食い止めることが困難になるという、日本ばかりでなく世界のエネルギー・環境問題に重大な影響を与える事態になってしまいました。

 

筆者としては、このような大変化を無視してこの小文を元のまま発表するようなことはのぞまず、しかし全面的に書き改めるには時間的にも無理があるため、この大変化への思いを最後の「おわりに」で述べることといたしました。読みにくい構成とは思いますが、同じようにこの大変化を目にした皆様の共感を少しでも得ることができれば幸いです。なお、この改訂と追記は、4月初めカイロでしたためたものです。

1.中東の電力システムに関わるまで(筆者略歴)

私は40年間、東芝で「電力系統制御システム」の開発に携わってきました。ここでいう電力系統制御システムとは、多くの発電所や変電所、無数の需要家、そしてそれらを網の目のように結んでいる送電線や配電線が織りなす電力系統(Electric Power System)の状態を監視・制御するシステムですが、電気の流れが非常に高速であり、監視制御する対象が地理的に広く分散していることから、電力系統が大規模・複雑化するに従い、あるまとまった地域ごとに集中的に監視制御するシステムを置かなければなりません。例えば、一つの電力会社には、中央に全体をみる中央制御システム(中央給電指令所と呼ばれることが多い)、各地域ごとに地方制御システム、そして各営業区域ごとに配電制御システムなどが置かれ、合計で何十というシステムが必要になります。

 

筆者が東芝に入社した1967年は、ちょうど日本の高度成長に伴い電力系統が大規模かつ複雑化する時代にあたり、一方電力系統制御システム構築に不可欠な計算機技術、通信技術、大規模電力系統の解析技術が実用化され始めた時期でありました。若い私ではありましたが、日本のほとんどの電力会社の電力系統制御システム構築にメーカサイドからかかわることができました。苦労もしましたが、メーカとしての売り上げや利益向上に貢献し、さらに顧客の電力会社も電力設備の無人化・省力化、発電電力の経済運用、供給電力の品質・信頼度向上により、多くの果実を得られたものと思います。

 

やがて日本の高度成長も一段落し、私たちは日本での成功体験をもとに海外への販路拡大を目指しました。しかし、この海外展開はビジネス的に苦戦の連続となり、いくつかの国でシステム構築を実現し、一部の顧客から高い評価を得ることは出来ましたが、全体としては世界市場での一定以上のシェア獲得はできませんでした。理由は、円高などによる日本メーカの高コスト体質、海外顧客とのコミュニケーション力不足、そして欧米主要メーカの築いていた新規参入者への様々な壁でした。例えば、主な国際学会や標準化委員会には欧米主要メーカ、コンサルタントの技術者を中心とする「ソサイエティ」が出来上がっていて、日本技術者がその中に入るのは至難な状況でした。

 

私たちは様々な国際学会への積極的な参加を始めました。海外でのコミュニケーション力不足を補い、欧米主要メーカのソサイエティへの参入が動機でした。一方、日本メーカは海外向け低コストシステムの開発、欧米コンサルタント・専門メーカの活用にも注力するようにしました。この作戦は試行錯誤の連続で、一定の成果もありましたが、円高のさらなる進行、先行する欧米メーカが次々と行う新規開発とコストダウンなどにより、日本勢の苦戦は続きました。そして私自身の定年がきてしまいました。

 

2007年私は東芝グループを退職し、年金生活に入りました。しかし、日本の電力系統制御システムの海外展開は道半ばであり、心の中には何とか日本の優れた技術を海外で役立たせたいとの思いがくすぶっていました。そして3年後、某コンサルタント会社からの誘いを受け、委託技術者として現役復帰することになりました。海外の電力システムコンサルタント業務を手伝うかたちでの復帰で、いくつかの案件に参加した後、本命のエジプト電力系統制御システム構築プロジェクトが始まり、これに深く関わることになります。

 

このプロジェクトの第一フェーズは監視制御対象の発変電所を調査し、どのように電力系統制御システムを適用すべきかを答申します。2010年末までにカイロからアスワンハイダムのナイル川沿い1000kmに点在する100か所以上の発変電所を調査し終えましたが、この小文はその折に感じた様々な驚きと、日本の果たすべき貢献への思いがもととなっています。

 

2.エジプトは平らで乾燥している

私はエジプト、ヨルダン、ドバイ、レバノン、サウディアラビアなどの中東地域に延べ1年以上滞在していますが、一度も雨に降られたことがありません。とにかく中東、北アフリカ地方は乾燥していて、毎日晴れています。ナイル川上流のエジプト・アスワン地方ではこの10年間一度も雨が降っていないとのことです。


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エジプト概略地図

出典:http://mapcruzin.com.free-egypt-maps. htm

 

ご存知の方も多いと思いますが、エジプトでは人口の9割以上がナイル川沿いのナイルバレーに住んでいます。これらの人々の生活、農業、産業は全てナイル川の水に頼っています。エジプトのナイル川流域には全く雨が降らないし、流れ込む川もありません。はるか遠くの東アフリカ高地に降った雨が延々と流れ、地中海に注いでいるのです。上流では堂々たる大河だったナイル川も、途中様々な用水に水を供給し続け、下流のカイロでは日本の隅田川程度の中ぶりな川に変身してしまいます。

 

私が中東やエジプトについてびっくりしたことは、雨が降らないことだけではありません。それ以上に驚いたことは、とにかく平らなことです。ナイル川のエジプト最上流にアスワンハイダムがありますが、そのダム湖(ナセル湖)の最高水位は海抜180mほどで、そこからナイル川は1000km下って海抜0mの地中海に達します。しかも高低差180m100m以上はアスワンハイダム発電所で使われてしまうので、以降ナイル川はわずか80mの高低差を1000kmかけてゆったりと流れていきます。

 

ナイルバレーの両側には高さ200400mの河岸段丘が続きますが、現地ではそれらは裸の岩山の連なりに見えます。バレーといっても日本の渓谷とはまったく違い、段丘間の幅は狭いところでも数km、広い所では数10kmにも及び、その間は完全に平らです。ナイル平野といった方が適当でしょう。ナイルバレーの内側は、昔から定期的に起きるナイルの氾濫でもたらされる肥沃な沖積土で覆われ、アスワンハイダム建設後洪水はなくなりましたが、ナイル川から取り込む用水のおかげで緑の平野となっています。ナイルバレーの中ほどに立つと、四方全て緑の地平線が見えることも多いのです。

段丘の外側はどうなっているかというと、西側は砂丘のうねる典型的な砂漠で、リビア砂漠から遠くサハラ砂漠へとつながっています。東側は土と岩からなる土漠で、紅海、シナイ半島やイスラエル、ヨルダン、サウディアラビアに続いています。シナイ半島先端に若干高い2000m級の山(エジプト国内最高峰)もありますが、段丘の両側にはほぼ平坦な砂漠や土漠が広がっています。つまり、ナイルバレーの内側も外側もずっと平坦な地形なのです。両者の違いは水の有無で、内側は緑と生の、外側は茶色と死の世界です。

 

気象学の門外漢である私ですが、平坦で広大な土地と極端に乾燥している気候の間には強い因果関係があると容易に推測できます。海上で発生した雲は高い山にあたって雨を降らせますが、平らな地形ではそのチャンスは少なく、乾燥した広大な土地からは水蒸気や雲の発生ものぞめないというわけです。

 

このように、日本や東アジアと全く違う地勢や気候に出会って素直に驚いた私でしたが、当地の発変電所を訪問・調査していくと、さらなる驚きが待っていました。


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4500年前の遺跡:ピラミッドとスフィンクス
ここも河岸段丘の一部で、背後は広大な砂漠、手前はギザ市街が迫りカイロ中心部からも10kmと近い

 

3.エジプトの電力システムは恵まれている

その古い地質のためか、エジプトではほとんど地震がありません。雨や雲が少ないため、雷の発生、暴風雨の襲来はほとんどありません。送電線に触れるような高い樹木や森林は皆無です。海風による塩害も地中海沿岸を除いて無く、送電鉄塔に巣を作るような鳥やそれを狙う蛇なども全くいないとのことです。だからこそ、4500年も前の遺跡が信じられないくらい良い保存状態で残っているのでしょう。

 

日本など他の多くの国では、電力システムの事故の大半は雷や暴風雨、豪雪、樹木接触、鳥獣害により起き、そして大規模停電の原因となるのは地震、台風、塩害などですが、エジプトではこれら要因のほとんどが最初から無いのです。

 

日本では狭い国土に変電所、送電線を建設するため、用地取得難や険しい山岳地帯での建設工事の困難さに直面することが多いのですが、エジプトでは広大で平坦な土地が続いているため、地図上に定規で引いた直線のように走る送電線、日本の10倍はありそうな敷地に整然と建てられた変電所が多く、うらやましい限りです。もちろんナイルバレーの内側には多くの町や村が存在し、カイロのような大都会もあるので、その中に送電線や変電所を建設することが容易とはいえません。しかし、ナイルバレーのすぐ外側には全く手のつけられていない平らな荒地が広がっていて、そこに大規模な変電所・送電線を建てれば、そこから2, 30kmの村や町、大都会に電力を送ることは容易です。実際、アスワンハイダムで発電した電力はナイルバレーの西側砂漠地帯に建設された50V送電線で、いくつかの基幹変電所を経由しながら大消費地のカイロに送られています。砂漠の地平線から地平線まで真っ直ぐ走る50V送電線の威容は、まさに印象的でした。


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50V送電線の威容
後ろは50V基幹変電所、手前は調査中の筆者;撮影H. Nonaka

 

このような好立地に建設され、恵まれた自然条件のもとで運転されているエジプトの電力システムは、故障することもなく好調に電力を供給していると思ってしまいますが、ところがそうではないのです。

 

4.エジプトの電力システムはなぜよく故障するのか?

発表されているエジプト電力システムの故障率は、実は日本の数値と比べるとかなり高いのです。自然条件に恵まれ、広く平坦な立地に余裕を持って建てられている電力システムなのに、これは一体なぜでしょうか? 

 

エジプト送電会社の担当者にこのことを質問してみると、老朽化した電力システムの機器が頻繁に故障したり、保守や改造工事の際の失敗が多いと漏らしてくれました。この答えは私の推定と同じでした。調査した多くの発変電所では欧米から導入した最新設備を使いこなせず、その後の増設や改造工事は資金不足のため送電会社の直営工事か地元の業者で行われることが多いのですが、うまくはいっていませんでした。

 

エジプトの発変電所は全て有人運転されていますが、残念ながら発変電所のほとんどの運転員たちは電力システムの専門知識に欠け、欧米メーカの残した説明書や図面を読みこなすだけの能力も持ち合わせていないようでした。このような運転員のおかす人為ミスによる故障も多いかもしれません。

 

急増する電力需要をまかなうため、電力システムを無理に運転しているツケがまわっての故障も多いようです。資金不足や設備増強計画不備のため、既存の古い設備を定格を超える過負荷状態で運転せざるをえないことが多いのです。こんな運転状態では、どんな立派な電力設備でも故障しやすくなってしまいます。

 

ひどい有様のエジプトの電力システムでしたが、中には素晴らしい状態を維持して順調に運転し続けている変電所もありました。欧米から最近導入された新品の変電所は当然良い状態ですが、25年前に日本から導入されたある変電所がエジプト一の高信頼度で運転されていたのです。

 

5.日本が建設した25年前の変電所がエジプト一だとほめられた

エジプト電力系統のバックボーンは、アスワンハイダムからカイロに至る50V送電線ですが、この送電線とそれを中継する50Vの基幹変電所、そしてアスワンハイダムは、実はソ連の援助と技術で1960年代に建設されたものでした。当時のソ連の技術水準はあまり高くなく、その後の拡張や増設には西欧の有力メーカが参入することが多くなりました。こうしてソ連、及び西欧の建設した変電所がエジプト電力系統の中枢になっていき、そこにエジプト送電会社の直営工事や地元業者の工事が加わり、前に述べたような高い故障率を招いてしまいました。

 

私たちが調査した50V基幹変電所の中に唯一の日本製がありました。1980年代後半に日本の某メーカが建設したA変電所です。他の60年代、70年代に建設されたソ連製の変電所、80年代、90年代の西欧製の変電所のほとんどが、老朽化や保守・増設工事の失敗などのため、目も当てられない劣悪な状態に陥っているのに対し、A変電所は建設当時の高い品質を今でも維持していて、その後の改造や増設もうまくいっていました。

 

A変電所は1960年代のソ連の時代遅れの設計ではなく、80年代当時の最新技術により設計されていました。これだけでは西欧メーカの設計と同じですが、西欧メーカはかれらの標準設計をもとにしたものの、コストダウンのため保守性や将来の拡張性を犠牲にしてギリギリの設計をしたようです。これに対しA変電所では、例えば将来の電力系統制御システム導入を予測し、そのための拡張性を充分配慮していました。

 

A変電所の製造品質は他の変電所と明らかに違っていました。25年経った今でも、A変電所の主要機器は老朽化することなく、新品のように輝いていました。納入当時の製造品質の高さと、その後の適切な保守のたまものです。

 

A変電所の運転員のレベルの高さには驚かされました。日本メーカの残した説明書・図面類を徹底的に勉強し、日常の保守、大きな増設・改造工事を自信をもって行っていました。どうやら、建設当初の日本人技術者の教育が良かったようです。

 

その後エジプト送電会社幹部に調査結果の報告を行った際、あるトップは日本製のA変電所が今でもエジプト一の変電所だと思っていると述べていました。

 

元メーカの筆者の目から見ると、A変電所のメーカとしての採算は決して良くなかったのではないかと思われます。それでも守るべき製造品質にこだわり、取るべき設計方針を貫き、顧客への教育を徹底的に行った日本メーカの真面目さは賞賛に値します。そして、25年後にもエジプト一と評価されていることに、同じ日本人として誇りを感じました。

 

6.日本ができる貢献とは

A変電所で日本メーカの残した説明書や図面類を参考に見せてもらいましたが、決してスマートなドキュメントではなく、むしろ愚直に変電所の全ての設備を日本流に書き表したものでした。多分日本人技術者はそれを流暢な英語で説明したのではなく、時間をかけてていねいにエジプト人技術者に伝えたのでしょう。A変電所の運転員たちは日本流の図面や説明書の内容を実に適確に理解していました。

 

今でもA変電所がエジプト一だとほめられているということは、日本人の真面目な取り組みがエジプトのような海外で充分通用することを示しています。キチンとした設計、高い製造品質、手を抜かない説明書や図面と訓練教育が揃えば、海外の顧客も充分満足してくれます。もちろん、日本メーカも採算性を重視しなければなりませんが、その中で真面目な取り組みをしていくことは不可能ではありません。日本の取り組み姿勢を評価してくれた顧客に対しては、次のビジネスチャンスも広がるはずです。

 

さて、前にも述べたようにエジプトの電力システムは自然条件や立地条件で非常に恵まれた環境にあります。ここにA変電所のような高信頼度な設備がもっと加われば、電力システム自体の信頼度が上がり、ひいてはエジプト社会のエネルギー利用効率や人々の生活レベルの向上につながると期待できます。私の夢は日本の貢献でこれらを実現することです。

 

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A変電所制御室全景;25年前納入の装置類は今でも新品同様の高品質を維持している(N. Yabuki氏撮影)

 

7.エネルギーを考える

エジプトの電力システムの信頼度を日本の貢献により向上させ、エジプト社会のエネルギー効率を上げたいという夢を語りましたが、もう少し素朴な夢を描いてみましょう。

 

エジプトは石油や天然ガスの資源に恵まれていますが、人口増や生活水準向上のため、間もなく石油輸入国に転落するといわれています。しかし、エジプトには他にも有力なエネルギー資源が存在します。無限の太陽光です。ナイルバレーの外側に広がる広大な砂漠・土漠地帯は日照率が非常に高く、土地はほぼ平坦で、太陽光発電を行うには理想的な環境なのです。

 

一般に、太陽光発電は受光面積を大きくして大規模化しても、発電効率自体は上がらないため、むしろ各需要地の近くに小規模電源として分散設置した方が有利だといわれています。前に述べたようにエジプトの砂漠・土漠地帯にはナイルバレーに沿った電力システムが既に存在し、需要地との距離も短いため、太陽光発電を分散設置するのに最適な立地条件が備わっています。発電効率や経済性の問題はありますが、温室効果ガスの排出がなく自然環境への負担も少ない太陽光発電をこれほど好条件で設置できる場所は世界にも他にないのではないでしょうか?

 

太陽光発電設備には、やはり日本の優れた技術と真面目な取り組みを活かしたいと思います。これにより、高信頼度な電力供給が可能となるはずです。

 

太陽光発電の最大の阻害要因は砂嵐です。砂は絶縁物なので、電力システムには汚れなどで間接的な影響を与えますが、直接的には有害ではありません。しかし、太陽光発電に対しては、受光部を覆い発電効率を下げてしまう大敵となります。日常的な清掃を行う必要がありますが、エジプトの人たちの頑張りに期待します。

 

太陽光発電により、昼間必要なエアコン需要や生活・農業・産業用水のポンプ動力をまかなえれば、エジプトのエネルギー事情を大いに改善できると思います。

 

エジプトでは他にも、1年中ほぼ一定方向に吹く風を利用した風力発電、巨大なアスワンハイダムとその下流のアスワンダムを利用した大規模揚水発電(火力や原子力発電の夜間余剰電力を活用して揚水し、昼間のピーク時に発電する)などの電力エネルギー資源活用の夢が考えられますが、紙幅も尽きたため、別の機会に譲ることとします。

 

おわりに

日本メーカの海外展開がビジネス的に難しいといいつつ、日本の真面目な取り組みが世界に貢献する期待や夢を述べました。正直にいって、日本の海外展開成功への特効薬は見当たりません。しかし、日本と日本人の良い点を国際的に認めさせる努力は絶対に必要と考えます。

 

さて冒頭の「はじめに」でも述べましたが、この2ヶ月の大変化は各々が世界史年表に太字で記される大事件でしょう。筆者はこれを二つも身をもって体験してしまいました。これらを後生に伝えていく義務を負ったものと受け止めています。

 

エジプトの政変は中東・北アフリカの政治体制を揺るがすきっかけとなりましたが、渦中に身を置いた筆者は正直に言ってこのような変化を全く見通せませんでした。当初小規模な抗議活動で終わると見ていたデモがみるみるうちに大規模化し、全国に拡がっていきました。エジプトの人々にムバラク体制への不満が鬱積していたことは感じていましたが、それほど大きなマグマとなって一気に噴出するとは思ってもいませんでした。

 

それでも、その後の大統領退陣への動きや、各地で地元の人たちが自警団を作って町を守り、デモ参加者が後片付けを率先して行う様子などを見ると、エジプト社会の健全性を信じてよいと思います。今後、エジプトが民主的な体制を選挙により構築し、まだ混乱している周辺イスラム諸国への模範となることを期待しています。エジプトの友人たちは、口をそろえてエジプトが中東イスラム諸国の民主化の先頭を走っていることを幸せに感じ、誇りに思うと言っていました。リビヤの内乱やシリア、イエメンなどの抗議活動は今も燃えさかっており、この大きなうねりがどのように落ち着くのか、私は見守っていくつもりです。

 

3月11日の東日本大震災とそれに続く福島原発トラブルのニュースは世界中を駆け巡りました。今でもCNNBBCなどの海外メディアはこれらを連日大きく報じており、おそらくこれほど長い間日本の出来事が世界中に流れ続けたのは初めてのことだったと思います。特に「FUKUSHIMA」は筆者の名前と同じため、ミスタ・フクシマはエジプトでもっとも有名な日本人だ言われてしまいました。

 

特にショックだったのは、深刻な原発トラブルです。想定をはるかに超える津波に襲われたとはいえ、非常用電源がすべて失われて核燃料の冷却ができなくなり、放射性物質の大気への放出や放射能汚染された大量の排水の海への流出が起きてしまいました。現時点ではこのトラブルがおさまる見通しは立っていませんが、少なくも年オーダの必死の作業が必要であり、冷却や放射能流出阻止に成功したとしても、その後十年以上かけて後処理をしなければなりません。これでは一般の人々の原発への疑いは増大し、原発を前提にした日本や各国のエネルギー政策に大きな影響を与えることは必至でしょう。

 

「原子力発電は取り扱いの難しいエネルギーだが、技術と適応力に優れた日本人なら必ずものにできるし、それが日本のエネルギー・環境問題を解決するほとんど唯一の解である」という立場を筆者はとっていましたが、その足下が崩れていく思いです。私は今でもこの立場を変えてはいませんが、原子力というエネルギーはわれわれが考えていたよりさらに難しいエネルギーであり、それを使いこなすにはまだ日本人のレベルは十分でないと、2011年に神様が警告してくれたのでしょう。これを機に、日本で再び真面目なエネルギー・環境問題が議論されることを望みます。筆者もその議論に何らかのかたちで参加し、出された結論には従うつもりです。

 

エジプトの政変と日本の大震災と原発問題はインターネットによる情報のグローバル化の中で起こりました。エジプト民主化にネット世論は大きく後押しをしました。日本の原発問題は世界に大きく報道され、中には誤解や皮肉にみちた興味本位のものもありましたが、多くは事実を冷静に伝え、日本の立ち直りを支援する内容でした。また、エジプトの人たちは必死にがんばっている日本を本気で応援していました。

 

この2ヶ月の大変化を経験し、日本は孤立していないと強く感じています。関係者や内外のマスコミが日本の問題を世界に説明しようと努力しているたまものでしよう。少し飛躍しますが、日頃の日本人のグローバル化への真面目な努力が、このように日本が窮地におちいったときに助けとなって返ってくると確信しました。

 

最後に、ここで述べたことは様々な場所で多くの方々の助けをかりて筆者が見聞した内容をもとにしていますが、あくまで私の個人的な体験や印象、考えや夢であり、他のいかなる組織や人々のものでもないこと、内容はすべて私の責任であることをお断りしておきます。この小文が皆様のさらなる発想を刺激することを期待します。また、多くの日本人が国際協調の大切さを再認識し、グローバル化への努力を続けていくことをのぞみます。

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